中学校のときの音楽の教科書に,スーザ作曲のマーチ「美中の美」が鑑賞曲として載っていました。
そのときの音楽の先生は,授業の中でスーザのマーチを次々とかけてくれました。
わたしはそれをおもしろいと思ったわけですが…。
高校のときの音楽の先生に,その話をしてみたときのこと。
「それがおもしろかったの?」と,首をかしげる先生。
…確かに次々と知ったようなメロディーをもつマーチが現れたことはおもしろかったんだけど,曲そのものはどうだったんだろ。
思うに,中学校のときの音楽の先生は,たまたま教材としてあった(または買った?)スーザの合唱曲のLPレコードを,何とかして活用しようとかけたのかもしれないですね。
そのときの音楽の先生は,授業の中でスーザのマーチを次々とかけてくれました。
わたしはそれをおもしろいと思ったわけですが…。
高校のときの音楽の先生に,その話をしてみたときのこと。
「それがおもしろかったの?」と,首をかしげる先生。
…確かに次々と知ったようなメロディーをもつマーチが現れたことはおもしろかったんだけど,曲そのものはどうだったんだろ。
思うに,中学校のときの音楽の先生は,たまたま教材としてあった(または買った?)スーザの合唱曲のLPレコードを,何とかして活用しようとかけたのかもしれないですね。
昨日の続きになるかな。
…転校したわたしにあてがわれたのは,メロフォーンという楽器。
なんとこの学校にホルンは存在せず,あったのはこの楽器。
ホルンと形状は似ているけれど,左手でロータリーバルブを操作するのでなく,右手でピストンを操作する。絶対音感のない人には音が探しにくいホルンに比べ,とても音が探しやすい。
…こりゃ,ホルンじゃないわい。音探しの難しいのがホルンなんだ!!
なんか音が薄っぺらな感じで,ホルンみたいな深みがない。(これは演奏するわたしが未熟だったためかも)
一体,メロフォーンという楽器は何ものだったの……?
今回,この楽器のことを思い出してちょっとだけ調べてみました。すると…
「アルト」という楽器がありました。ユーフォニウム(ユーフォニアム)を一回り小さくしたようなもの。(ユーフォはテューバを小さくしたような楽器)そういえば,ホルンをやっていたとき,マーチなんかで時おり「アルト」と書かれた楽譜を渡され,それをホルンで演奏していました。
メロフォーンはそれの代用品らしいのです。ホルンの代用品ではないのです。見た目が美しくあるようにと,ホルンの形に作られたとか。
アルトならば同じピストン族。納得がいきます。
…転校したわたしにあてがわれたのは,メロフォーンという楽器。
なんとこの学校にホルンは存在せず,あったのはこの楽器。
ホルンと形状は似ているけれど,左手でロータリーバルブを操作するのでなく,右手でピストンを操作する。絶対音感のない人には音が探しにくいホルンに比べ,とても音が探しやすい。
…こりゃ,ホルンじゃないわい。音探しの難しいのがホルンなんだ!!
なんか音が薄っぺらな感じで,ホルンみたいな深みがない。(これは演奏するわたしが未熟だったためかも)
一体,メロフォーンという楽器は何ものだったの……?
今回,この楽器のことを思い出してちょっとだけ調べてみました。すると…
「アルト」という楽器がありました。ユーフォニウム(ユーフォニアム)を一回り小さくしたようなもの。(ユーフォはテューバを小さくしたような楽器)そういえば,ホルンをやっていたとき,マーチなんかで時おり「アルト」と書かれた楽譜を渡され,それをホルンで演奏していました。
メロフォーンはそれの代用品らしいのです。ホルンの代用品ではないのです。見た目が美しくあるようにと,ホルンの形に作られたとか。
アルトならば同じピストン族。納得がいきます。
わたしが中学校で吹奏学部に入ってホルンを演奏していたということは,以前に書きました。
中3になるとき,父親の仕事の都合で転校しました。
転校した先の学校は,吹奏学部はあるにはあったものの,あまり盛んでない感じ。合唱もやってみたかったわたしは,合唱部に入ることにしました。
当時部活動のほかに,週1時間,授業の中で行うクラブ活動があって,そちらにも合唱と吹奏楽部がありました。わたしはそちらで吹奏楽をすることに。
でも,合唱部が始まってみると,人数のあまりの少なさにがっかり。ろくな合唱になりゃしない。放課後に4,5人で歌ってみるものの,つまらない。そして管楽器の音が響いてくる……その音にどうしても吹奏楽への血が騒いで,吹奏学部に入りなおしました。
ところが,この学校の ちまちました活動の吹奏学部は,吹奏楽連盟に所属していなかったのか,いわゆる「吹奏楽コンクール」には出場しないのでした。その地方の「音楽祭」なるものにだけ出場。でもそれは上の大会に通ずるものでもなんでもなく,単なるお祭りそのものでした。曲も「バラの謝肉祭」と,今では小学校の部でもほとんど演奏されないくらい簡単な曲。
ところが,この学校で合唱コンクールに出場すると。
なぜ?あの合唱部では無理だよ…と思い,真相を探ると……
週1のクラブ活動で合唱に入ると,コンクールに出られたのだとか。
だから,合唱クラブと吹奏楽部に入っていた人は,合唱コンクールも音楽祭も両方出られたの。
吹奏楽クラブに入ったわたしは,損をしてしまった感じ。
中3になるとき,父親の仕事の都合で転校しました。
転校した先の学校は,吹奏学部はあるにはあったものの,あまり盛んでない感じ。合唱もやってみたかったわたしは,合唱部に入ることにしました。
当時部活動のほかに,週1時間,授業の中で行うクラブ活動があって,そちらにも合唱と吹奏楽部がありました。わたしはそちらで吹奏楽をすることに。
でも,合唱部が始まってみると,人数のあまりの少なさにがっかり。ろくな合唱になりゃしない。放課後に4,5人で歌ってみるものの,つまらない。そして管楽器の音が響いてくる……その音にどうしても吹奏楽への血が騒いで,吹奏学部に入りなおしました。
ところが,この学校の ちまちました活動の吹奏学部は,吹奏楽連盟に所属していなかったのか,いわゆる「吹奏楽コンクール」には出場しないのでした。その地方の「音楽祭」なるものにだけ出場。でもそれは上の大会に通ずるものでもなんでもなく,単なるお祭りそのものでした。曲も「バラの謝肉祭」と,今では小学校の部でもほとんど演奏されないくらい簡単な曲。
ところが,この学校で合唱コンクールに出場すると。
なぜ?あの合唱部では無理だよ…と思い,真相を探ると……
週1のクラブ活動で合唱に入ると,コンクールに出られたのだとか。
だから,合唱クラブと吹奏楽部に入っていた人は,合唱コンクールも音楽祭も両方出られたの。
吹奏楽クラブに入ったわたしは,損をしてしまった感じ。
わたしが吹奏楽の道に入ったのは,中学1年のときでした。
小学校6年のとき,1年上の先輩にクラリネットとフルートの二重奏を聞かせてもらったことがきっかけです。彼女たちは吹奏楽部に入ったといって演奏を聞かせてくれたのです。
わたしは中学校に入ったら,部活は吹奏楽部にしようとちょっぴりだけど心に決めたのです。
で,実際,中学生になりました。部活は,本当を言うと体操部とかテニス部とかにも興味がありました。でも,わたしの学校には二つともありませんでした。だから結局,吹奏楽部に決めました。(でも,なんと2年になったとき,体操部もテニス部もできたのです。そんなこっとってあるのー!?…でも,もしその二つが1年前にできていたら,わたしの人生変わってたかもしれないんですよね……。)
ちょっとぐずぐずしていたせいか,もうクラリネットもフルートも空きがありませんでした。ホルンという楽器を見せられ,ちょっと好きになれそうにない先輩を紹介され,気乗りはしませんでしたが,とりあえず始めました。
課題曲は「吹奏楽のための寓話」自由曲はドヴォの「新世界から:第4楽章」でした。
なんといっても好きになれそうになれない先輩だったので,わたしはあまり言うことを聞かないかわいくない後輩だったかも〜
コンクールの曲はまだいいんだけど,マーチなんかだとほとんどの動きがワンパターンでンタ,ンタ,ンタ,ンタ…っていう後打ちのリズムばっかり。つまんなーい。
で,高校のときはトランペットに!やっぱり花形がいいもんね〜

高校1年のときの課題曲は「ポップス描写曲 メインストリートで」(岩井直溥),この曲は結構好きでした。
この年は,わたしの通っていた女子高はコンクール初出場,学生指揮にして上位大会出場
その大会に,秋田県立横手高校も出場していました。そこではその年の課題曲「即興曲」を作曲した後藤洋さんがオーボエを吹いている,ということを知っていたので,オーボエ奏者に注目していました。曲が終わると,指揮者が後ろを向くか向かないかのうちに颯爽と立ち上がり,背筋を伸ばして誇らしげに斜め上を見ていたような気がします。
のちに吹奏楽界では知らない人のいない作曲家になるんですねー。
あ,うかつだった。課題曲で年がばれる
小学校6年のとき,1年上の先輩にクラリネットとフルートの二重奏を聞かせてもらったことがきっかけです。彼女たちは吹奏楽部に入ったといって演奏を聞かせてくれたのです。
わたしは中学校に入ったら,部活は吹奏楽部にしようとちょっぴりだけど心に決めたのです。
で,実際,中学生になりました。部活は,本当を言うと体操部とかテニス部とかにも興味がありました。でも,わたしの学校には二つともありませんでした。だから結局,吹奏楽部に決めました。(でも,なんと2年になったとき,体操部もテニス部もできたのです。そんなこっとってあるのー!?…でも,もしその二つが1年前にできていたら,わたしの人生変わってたかもしれないんですよね……。)
ちょっとぐずぐずしていたせいか,もうクラリネットもフルートも空きがありませんでした。ホルンという楽器を見せられ,ちょっと好きになれそうにない先輩を紹介され,気乗りはしませんでしたが,とりあえず始めました。
課題曲は「吹奏楽のための寓話」自由曲はドヴォの「新世界から:第4楽章」でした。
なんといっても好きになれそうになれない先輩だったので,わたしはあまり言うことを聞かないかわいくない後輩だったかも〜

コンクールの曲はまだいいんだけど,マーチなんかだとほとんどの動きがワンパターンでンタ,ンタ,ンタ,ンタ…っていう後打ちのリズムばっかり。つまんなーい。
で,高校のときはトランペットに!やっぱり花形がいいもんね〜


高校1年のときの課題曲は「ポップス描写曲 メインストリートで」(岩井直溥),この曲は結構好きでした。
この年は,わたしの通っていた女子高はコンクール初出場,学生指揮にして上位大会出場

その大会に,秋田県立横手高校も出場していました。そこではその年の課題曲「即興曲」を作曲した後藤洋さんがオーボエを吹いている,ということを知っていたので,オーボエ奏者に注目していました。曲が終わると,指揮者が後ろを向くか向かないかのうちに颯爽と立ち上がり,背筋を伸ばして誇らしげに斜め上を見ていたような気がします。
のちに吹奏楽界では知らない人のいない作曲家になるんですねー。
あ,うかつだった。課題曲で年がばれる

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